東京高等裁判所 昭和35年(行ナ)94号 判決 1963年9月19日
原告 救心製薬株式会社
被告 特許庁長官
補助参加人 東京田辺製薬株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用及び参加によつて生じた費用は、原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
原告代理人は、「昭和三十四年抗告審判第一、七六〇号事件について、特許庁が昭和三十五年八月十六日にした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。
第二請求の原因
原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。
一、原告は、昭和三十一年三月二十四日別紙記載のように、上段に「BPLEX」のローマ字を左横書にし、下段に「ビプレツクス」の片仮名文字を左横書にして構成された商標(以下本件商標という。)につき、指定商品を旧商標法施行規則(大正十年農商務省令第三十六号)第十五条(以下旧類別という。)第一類 化学品、薬剤及び医療補助品として、その登録を出願したところ(昭和三十一年商標登録願第九、六一一号事件)、昭和三十四年六月十五日拒絶査定を受けたので、同年七月二十八日これに対し抗告審判を請求したが(昭和三十四年抗告審判第一、七六〇号事件)、特許庁は、昭和三十五年八月十六日原告の抗告審判の請求は、成り立たない旨の審決をなし、その謄本は同月二十日原告に送達された。審決は、別紙記載のように、上段に「ビタプレツクス」の片仮名文字を左横書にし、下段に「VITAPLEX」のローマ字を左横書にして構成され、旧第一類 化学品、薬剤及び医療補助品を指定商品とする補助参加人の有する登録第四一二、〇九七号商標(以下引用商標という。)を引用し旧商標法(大正十年法律第九十九号)第二条第一項第九号を適用して、本件商標は登録することができないものとした。
二、しかしながら審決は、次の理由により違法であつて、取り消さるべきものである。
(一) 本件商標からは、ローマ字及び片仮名文字ともに、「ビプレツクス」の称呼が出るが他のいかなる称呼も出ない。また引用商標は、上段の片仮名文字からは「ビタプレツクス」の称呼が出るが、下段の英文字からは、「ヴイタプレツクス」または「バイタプレツクス」の称呼をも生ずるのであつて、引用商標のローマ字記載のものと片仮名文字の二段の記載の称呼が各人により必ずしも一致するものではない。しかし「VITAMIN」が本邦において「ビタミン」と称されていること、従つて「VITAPLEX」が「ビタプレツクス」の称呼をも生じることは争わない。
しかしながら元来「ビタミン」なるものは、人体の栄養素として研究の歴史は古く、既に三百年前後の歴史をもつているもので、ビタミン剤の商標には殆んど「ビタ」の文字が(イ)その上段(ロ)中段又は(ハ)下段に表わされるのが普通である。例えば(イ)として、「ビタカン」「VITAHORMIN」「ビタチオン」「ビタフツド」「ビタホン」「ビタボーン」「ビタスチン」「ビタレツク」その外に三百件以上の商標が登録され、引用商標の如きも本例中の一つである。次に(ロ)として、「パンビタモン」「パンビタン」「強力ビタロン」「ミネビタール」「マルビタール」「ミネラビタン」「リポビタン」「ムヒビタン」(ハ)として「ムルビタ」「ミネビタ」その他多数の登録がなされている。
このように「VITA」または「ビタ」の文字が旧類別第一類 化学品、薬剤及び医療補助品の登録商標中いずれかに表示されているものは、「VITAMIN」すなわち「ビタミン」剤を主剤又は配合剤とすることの約束ずけられた表示であり、このことは売る者、買う者、造る者の間には慣習的に当然に認識されている事実であつて、何人もこれを否定することはできない。
これに反し、本件商標の「BPLEX」及び「ビプレツクス」は、頭文字が「B」及び「ビ」であり、これらが「VITAMIN」「ビタミン」剤に通ずるものとは信じ難く、現に「BIFLEX」「ビフレツクス」の文字が、本件商標と同形式の上下二段に横書された原告の商標が、登録第五四五、二六九号をもつて登録されている点及び「ビープレツクス」の商標が昭和三十五年商標出願公告第一〇、五三四号をもつて公告されている点から考えれば、上述の事実は十分裏書されているといつて過言でない。
(二) 審決は、本件商標は「ビプレツクス」、引用商標は「ビタプレツクス」の称呼を生ずることその構成に徴し明白であり、その差異は後者の第二音「タ」の有無に過ぎないといつている。そして被告代理人は、これを受け、商標を一連に称呼するときは、頭音「ビ」は強く発音され、しかも後続音の「プレツクス」は音調軽く取引者及び需要者間に印象づけられるものであるばかりでなく、引用商標の第二音「タ」は短音であり、しかも頭音「ビ」に付随して発音されるから「タ」の有無は商取引上両商標を判然と区別し得られないと主張しているが、これは本件商標の登録願を拒絶するための作文であつて独断に過ぎない。元来「タ」の音は、「ア」の音を母音とするもので舌を上歯の内歯茎に当て口を大きく開くと同時に舌を下歯の内歯茎に当て発音される開放音であつて、極めて明瞭に強く発音されるものであり、いかなる他の発音中にあつても、その長短を問わず明確に反響を呼ぶものであつて、この音の有無によつて言葉の肯定、否定を区別する発音である。また「ビ」の音は唇音であつて、その性質は本来極めて弱音であり、「プ」もまた同様である。
従つて「ビ」の第一音と「プ」の第三音との間に「タ」の第二音の有無によつて語調に大きな開きを生ずることは否めないのであつて、連続する弱、強、弱音の「ビタプ」と、弱、弱音の連続音による「ビプ」とは、その発音はもちろん聞く者をして両者間に大差あることは明確であり、従つて「ビタプレツクス」と「ビプレツクス」との差異は発音に現れ、その反響は全然別異のものとなり、前項に記載したような「ビタ」に対する一般の慣習と相俟つて、おのずから両者間には区別せられるのが当然でなければならない。もし被告代理人の主張するように「ビ」と「タ」との関係、更には「プレツクス」との関係において発音上の特殊な関係があるものであるならば、それには特殊な発音に関する呼び方なり、読み方に一般的に約束付けられた符号又は記号がなければならないが、引用商標には、審決又は被告代理人の主張する称呼のよつて生ずる何等の符号又は記号がない。すなわち商標自体は何も語つていないから、商標として現わされた文字自体は五十音の普通の発音法に従いそのまま素直に読んで生れた称呼がその商標の持つ自然の称呼であつて、またその自然の称呼と慣習に従うところにいわゆる経験則がある。審決はこの経験則に離反するものといわなければならない。
(三) 審決は、「またこれを観念上よりみるときは、称呼において彼此相紛れるおそれのあるものは、取引上観念においても混同誤認を生じさせるおそれが充分であるといわざるを得ない。」といつているが、称呼と観念とは別異の概念であつて、称呼がかりに同一であつたとしても、観念上も類似の商標となるとの論は明白な誤りである。本件商標と引用商標とは、別異の称呼を有するものと認めるのが至当であり、かつ引用商標と異なり「ビタミン」の観念を全然有しない本件商標に対し、観念において混同誤認のおそれありとすることは審決の重大な誤りである。
(四) 原告は本件商標登録出願前である昭和二十九年三月二十四日「BIFLEX」及び「ビフレツクス」の文字を上下二段に横書にした商標の登録を出願したが、昭和三十四年十二月七日引用商標との間には何等の争いもなく第五四五、二六九号を以つて登録された。いま本件商標「BPLEX」及び「ビプレツクス」とこれとを比較すると、ローマ字が「BP」と「BIF」、片仮名文字の第二字が「プ」と「フ」との差異があるのみで、その称呼においては一方が「ビプレツクス」で他方は「ビフレツクス」であつて、両者は称呼、外観ともに近似し、商標の同一性、類似性より考えても、むしろ引用商標により本件商標の登録拒絶の審決をなすにあたり、これら「ビプレツクス」と「ビフレツクス」との関係につき十分の審理をするのが当然であるが、審決はその間の事実審理に付いて何等の説示をもしていない点からみれば、審判において両者は対照とせられなかつたものと思料され、従つて原告の主張のあるなしにかゝわらず特許庁としてしなければならない考慮を十分になさず、慢然と本件商標の登録を拒絶したものと思料され、明らかに審理不尽といわなければならない。けだし審理をつくし審理に理由を付することは、当事者の主張を排斥した理由が当事者を納得させなければならないわけであつて、納得できない理由を説示し、または全然理由を付せないのは違法である。
第三被告の答弁
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対し、次のように述べた。
一、原告主張の請求原因一の事実はこれを認める。
二、同二の主張はこれを争う。
(一)及び(二) 本件商標は「ビプレツクス」、引用商標は「ビタプレツクス」の称呼を生ずることその構成に徴し明白であり、その差異は後者の第二音「タ」の有無に過ぎない。そして右両商標を一連に称呼するときは、頭音「ビ」は強く発音され、しかも後続音「プレツクス」は言調軽く、取引者及び需要者間に印象付けられるものであるばかりでなく、引用商標における第二音の「タ」は短音であり、しかも頭音「ビ」に付随して発音せられるから、この「タ」音の有無は、商取引上両商標を判然と区別し得られないという経験則に照らし、審決は相当である。「ビタ」「VITA」の文字は必ずしも薬剤について「VITAMIN」の略とは認められない。「ビタ」「VITA」は「VITA」の略であつて、薬事日報(乙第一号証)の記載によるも「ビタ」を付した商標ないし商品名で「ビタミン剤」でないものも多数あるし、既登録例はいずれも第一類に属する商品一切を指定するもので何等ビタミン剤に限定するものではない。また簡易迅速を尚ぶ一般商取引において四字以上の音よりなるものについて、中間音の一字の相違有無等は、称呼上極めて紛れるおそれがあることは経験則に徴し相当である。
(三) 電報電話等の取引においては称呼を同じくする場合、観念においても混同誤認を生じさせるおそれが十分である。
(四) 「BIFLEX」「ビフレツクス」がたとえ登録されたとしても、引用登録商標に類似するものであれば、無効審判により当然無効となるべきものである。
第四補助参加人の主張
補助参加人は、原告の二の主張に対し、次のように述べた。
(一)ないし(三) 原告は本件商標と引用商標とを比較して、両者の唯一の相違である中間音の「タ」の音は強い明確な開放音であり、かつ前後の音「ビ」「プ」はいずれも弱い音であるから、結局両者は甄別性があると主張するが、これは誤つた観察に基いている。すなわち本件商標「ビプレツクス」と引用商標「ビタプレツクス」を比較すると
(1) 両者はともに比較的長い音で、しかもその差は僅か一字の音に過ぎない。
(2) 両者は称呼上もつとも強い印象を与える始音「ビ」及び尾音「プレツクス」を共通にするが、このようなことは一般に商標の称呼としてきわめて近似感を聴者に与える(過去の大審院判決例をみるとプラトンとプルトン、アルフアとAGHA(アグフア)、ケロリンとケイロリン、ケロリンとケロニンは、称呼上類似すると判示されている)。
(3) 両者の共通の語尾「………プレツクス」は、元来明確な歯切れのよい音であるが、この場合はこれに発音上のアクセントもかかつているため、両者の語尾は、ともに聴者に強い印象を与える。
(4) 右(3)の反面として、両商標の始音「ビ……」、「ビタ……」は比較的弱い音となり、そのため両商標の唯一の相違である「タ」音の有無は徴差に終る。
(5) 右(3)(4)の結果両商標の全体の音調は全く同一となつている。
以上のように両商標はきわめて酷似し、両者を実際の取引市場で時と所とを異にして称呼した場合に、取引者のそれによる混同誤認は到底避け得られない。
本件商標の「ビ………」の文字そのものはたとえ意味のない造語であつても、本件商標は前述のように、その称呼が引用商標と酷似しているから、このような場合にはこの観念のない造語からなる本件商標は、結局右の称呼類似の商標(引用商標)と同じ観念のものとして把握されがちであるから、審決には原告主張のような違法はない。
(四) 原告は自己の登録商標ビフレツクスについて色々主張しているが、これは甚だしい矛盾した主張であるだけでなく、本件訴訟における審理は、原審決の内容そのものの当否の判断という範囲に限られる。
第五証拠<省略>
理由
一、原告主張の請求原因一の事実は、当事者間に争いがない。
二、右当事者間に争いのない事実とその成立に争いのない甲第一号証及び丙第一号証の一、二とによれば、原告の登録出願にかかる本件商標は、別紙記載のように、上段に「BPLEX」のローマ字を左横書にし、下段に「ビプレツクス」の片仮名文字を左横書にして構成されており、審決が引用した登録第四一二、〇九七号商標は、上段に「ビタプレツクス」の片仮名文字を左横書にし、下段に「VITAPLEX」のローマ字を左横書にして構成されており、ともに旧一類化学品、薬剤及び医療補助品を指定商品としているものであることが認められる。
三、よつて本件商標が審決のいうように、右引用商標に類似するかどうかについて判断するに、本件商標は、前述のように上段に「BPLEX」のローマ字と下段に「ビプレツクス」の片仮名文字を併記して構成されたものであるが、上段のローマ字は、それだけでは何と発音されるものかその称呼も不明のようなものであるばかりでなく、その成立に争いない丙第三号証の一、二、三を総合して認められる、これより先き原告は「ビプレツクス」の片仮名文字のみを左横書にして構成された商標について登録を出願し、出願公告となつたが、その後補助参加人の登録異議の申立により、登録を拒絶された事実に鑑れば、本件商標の要部は疑もなくその下段に記載された「ビプレツクス」の片仮名文字に存するものと認められる。
一方引用商標の下段のローマ字は上段の片仮名文字をそのままに表現したものに過ぎず、その要部はビタプレツクスに存するものと認められる。
よつて右要部により本件商標と引用商標とを対比するに、前者は六字、後者は七字からなる商標において、両者は第一字の「ビ」及び語尾の「プレツクス」を共通にし、ただ引用商標における第二字「タ」を本件商標は欠くにすぎない。かかる事実のもとにあつて両商標は外観上からも甚だ紛らわしく、その称呼も決して彼此取り違えて呼ばれ、記憶されるおそれがなしとすることはできない。
原告及び被告は、互に発音学上の理論を引いて両商標から生ずる称呼の類否を論じており、ある商標からいかなる称呼が生ずるかについては、もとより発音学上の理論も無視することはできないが、ある文字の現実における発音が常にこの理論にのみ従うものということは考えられず、(原告がこの点の証拠として提出した甲第五号証の一、二は「吃音矯正法」に関するもので、最も正確で厳正な習練を前提するものである。)必ずしも厳密、正確でない日本語、ことに外来語またはこれに類する言葉の発音についての日常の経験に鑑れば、原告主張の発音学上の理論なるものも、(被告のそれと全く一致するものではない。)本件商標と引用商標とが、まぎらわしく呼ばれるおそれがないことを保証するものではない。
してみれば、本件商標と引用商標とは、外観及び称呼において類似し、相互類似したものと判定される。
四、原告代理人は引用商標の接頭語「ビタ」「VITA」の文字が「ビタミン」を意味するものであり、本件商標の「B」及び「ビ」はかかる意味を有しないものであるから、この点からも両者は混ごうするおそれはないと主張するが、たとい製薬業者等の間にかかる慣行があつたとしても、(もつともその成立に争いのない乙第一号証の一、二、三によれば、薬事日報社版の医薬品、医療衛生用品価格表にかかげられた医薬品名のうちには、「ビタ」の接頭語を有するにかかわらず、「ビタミン」とは関係のないものが多数に含まれていることが認められ、果してかかる慣行の存在も絶対的のものとはいわれない。)本件商標の指定商品である薬品等の購買者である一般人の間にまで、この点が徹底され、両商標が誤まり取り違えられるおそれがないものとは解されないから、右原告の主張も採用することができない。
原告代理人は、さらに、原告の出願にかかる「BIFLEX」及び「ビフレツクス」の文字により構成された商標が、原告の抗告審判の請求後である昭和三十四年十二月七日引用商標との間には何等の紛争を生ずることもなく、第五四五、二六九号を以つて登録された事例を引いて、審決が両者の関係について原告を納得させる判断を示さなかつたことを不当として、審決を非難しているが、審決は当面の問題である本件商標の登録の許否(本件の場合においては、引用登録商標との類否)について十分の理由を示せば足り、抗告審判の過程において、請求人である原告から全然言及されなかつた右商標との関係について理由を示さなかつたとしても、これをもつて審決を不当とすることはできない。
五、以上の理由により、原告の本件商標が、引用登録商標と類似し、指定商品を同一にするとの理由により、その登録を許すべからざるものとした審決には、原告主張のような違法はないから、これが取消を求める原告の木訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条、第九十四条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原増司 山下朝一 多田貞治)
(別紙)
原告の登録出願の商標<省略>
引用の登録第四一二、〇九七号商標<省略>